書籍・雑誌

2012年9月 9日 (日)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――大転落

以下、ネタバレを含むので、いやんな方はバックプリーズ。

みなさま、電車には乗ったことがありますよね?
もしくは、バスでもいいです、
とにかくなんらかの公共機関、公共の場で、
「岩●文庫を読んでいる」サラリーマンと
「週刊少年●ャンプを読んでいる」サラリーマンがいたら、
どっちのほうが頭がよさそうだと思いますか?
もちろん、前者だろうって?

浅はかですよ! そりゃ思い込みってもんです。
本 > マンガだなんて決まってない。固定観念です。
そんな思い込みを一蹴するには、
この本をどうぞ。
前置きが長くなりましたが、
今回ご紹介するのは 大転落 です。



これはいわゆる、「ヤッちまった」本、
日本が世界に誇る「硬い」岩●文庫が
とちくるってしまった(褒め言葉)一冊です。
そう、●波編集部はなんで
こんな珍奇な(褒め言葉)書籍を
取り上げようと思ったのか。
わかりません。
わかりませんが、グッジョブです。
この一冊を読めば、
「岩●=硬い」という印象が風の前の灰のように
崩れ去るのは間違いなし。

わたしの偏見に満ちた物語の概要は以下。
主人公・ペニーフェザー君は
英国の某有名大学に通う
クソ真面目で冗談の通じない学生。
だが他の学生のどんちゃん騒ぎに巻き込まれて、
なぜか無関係だったはずのペニーフェザー君が
退学処分に。
ここから彼の人生「大転落」が始まった。
元はと言えば、エリートだったはずのペニー君だが、
就職先の学校で数々の事件に出会った挙句、
どん底の刑務所に放り込まれる。
そこからどうにか脱出し、
結局、彼は偽名を使って
元いた大学に戻ってくるのだった――。って話。

とにかく、いろいろありえません。
ペニー君自身は超がつくマジメ人間なのですが、
周囲のキャラがありえないほどおかしい。
詐欺師だの犯罪者だの、とにかく
ペニー君の人生は周囲に振り回されて、
爽快なまでに転がり落ちていきます。
それから、ペニー君について作中で
作者が「こんなつまんねえやつ」的なメタ発言をかます部分まであります。
作者の態度もありえないです。
一読すれば、
「岩●=マジメ=ペニー君」という印象が
ブッちぎられて、崩壊します。

わたしはタイトルが気になって、
なんとなくこの本を買い求め、
夜中に読んで、死ぬほど笑いました。
現代日本でも十分に通用するブラックユーモアに
満ちています。
お勧めです。
もし、学校の先生に
「なんでもいいから感想文を書け」と言われたら、
そしてとりあえず真面目っぽい本を選ぶ必要があったら、
この本を選ぶとよいです。
曲がりなりにも天下の岩●文庫なんで、
何も知らない先生はスルーしてくれるかもしれません。
もっとも、内容が超・前衛的なんで、
感想文なんか書いたら、
一発で説教されますけどね。
だから、わたしのアドバイスなんかまともに
受け止めちゃ駄目ですよ。
はっはっはっ。

いやーでも、この本はね、
もっと世間の人に読んでもらってもいいと思う。
間違いなく、この本は岩●文庫からの刺客です。
挑戦状です。
この本が、ディッケンズだのシェークスピアだのに
混じって売られているという事実がもう、
シュールギャグです。
書店で見かけたら、お手にとってみてください。
もっとも本には相性があるから、
ちょっと見てみて駄目そうだったら、
そっと本棚に戻してください。
過激な本なんで、無理な人は無理ですね。

以上、ホラ二割程度で。
とにかく●波文庫の印象が変わりますよ。
それは保証します。
もっとも、わたしはホラ吹きですがね。
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2012年1月11日 (水)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――光の六つのしるし

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

ひさびさに本を紹介します。
今回は = 光の六つのしるし だよ!


これも児童文学なのかな?
でもオレの中ではクリスマス~正月(冬の話)っていうと、
これだ。
もしくは 喜びの箱 かな。あとは 冬物語 とか。
まさかと思うけど……光の六つのしるし を
知らない児童文学好きはいないよね?
それって、ゲド戦記知らないくらいのレベルだと思うよ!
光の六つのしるし はそんくらい名作・有名です。(オレの中では)

ほんじゃ、ストーリー紹介。
この本は「光と闇の戦い」シリーズの一冊目です。
いや、これに先立つ「コーンウォールの聖杯」という話もありますが、
知らなくてもなんとかなります。
シリーズ物だけど、単体でも読めます。
この物語はイギリスのある町の一冬の出来事なんだけど、
光と闇の戦い、というシリーズコンセプトどおり、
主人公 ウィル・スタントン少年は誕生日に
光側の「古老」として目覚め、
光を勝利に導くアイテム・六つのしるし を探すことになります。
このしるし、いろんなところに隠れている。
隠し場所はRPGが作れると思うくらい、バラエティに富んでるし、
またアイテムに絡んで切ない人間模様もあったりする。
切ないっても恋愛話じゃないです。
なんて言うか、「永遠に憬れる儚い人間」が出てくるんです。
光側の「古老」は永遠の存在です。
その古老のそばで生きてきて、自分の儚さに絶望し、
闇に組してしまう男が出てくる。
それを「弱さ」と言ってしまえばそれまでなんだけど、
わたしはあえて「憧れ」と言いたいですね。
とても人間臭い、その男は、人間だから、
永遠に焦がれて、切羽詰って、師を、主を売ってしまう。
その裏切る心の動きが、切ないですよ。
その男の最期も切ないね。
主人公ウィルは男の一部始終を見届けるのですが、
結局、男を憎むことはできませんでした。
ウィル自身がとても優しい少年だということもあるけど、
たぶんウィルの中の人間の部分が、
男の弱さ・憬れに共鳴したんじゃないかと思う。
この物語、光・少年であるウィルと
闇に堕ちた男の対比がとてもよく描かれていると思う。
結論として「人間」が描かれていると思います。

この物語はシリーズなんで、
どんどん続いていくんですが、
一冊目を読むと、もうとりつかれたように読んでしまうよ。
ウィルは今後、どうなるの?
光と闇の戦いの結末は?
巻を進めると新しい登場人物なんかも出てきて、
「えっ、あの超有名人の子ども?!」などと驚きもあり。
しっかりとしたプロットで読み応えがあります。
でも、一貫して「人間」が描かれている物語です。
主役のウィルは「光」だけど、
必ず対比になる「普通の人間」がいて、
その人間が物語を回します。
光も闇も、基本方針や行動は揺るがない、
ある意味 予定調和なんだけど、
光と闇の間で揺らぐ「人間」が物語を大きくリードしていきます。
人間の揺らぎが、迷いが、憧れが、切なさが、
物語に表出します。
光と闇の戦いシリーズは、だから、「人間」の物語です。
わたしは勝手にそう思ってます。

いい物語ってのは、「次は? 次は?」って訊きたくなる面白さと、
あと、「人間」が描かれているんじゃないかなって思う。
人間をひきつけるのは、人間なんじゃないかな。
自分の中にもある弱さに共鳴したり、
自分にはない崇高さにハッとしたり、
するんじゃないかと思う。
物語の中に、「人間」への共鳴と発見がある。
そうすっと、心に残る物語になるような気がする。
児童文学でも、ミステリーでも、ホラーでも、
なんでも、そうだと思う。
あ、もちろん、ウィスキー・キャット とか ネコ語の教科書 みたいな、
人間は出てくるけど脇役って名作もあるけどね。
あくまで、あるパターンとして、
「人間」への共鳴と発見がある物語がいいよ、ってこと。
他のパターンもあるよ。そりゃ。

光の六つのしるし はイギリスのクリスマス風景なんかも
出てくるんで、
冬にヒーターの前で、ミルクティーなんか飲みながら、
読みすすめると、とても楽しい物語です。
いいなあ、こういうクリスマスやりたいなあって思う。
ウィルの家は大家族なんで、プレゼント交換したり、
わいわい騒いだり、にぎやか。
ウィルは古老だから、特殊能力者なわけですが、
家族の中では末っ子。子ども扱いです。
ウィルの使命ある古老としてのキャラクターと
末っ子キャラクターのギャップも楽しいですね。
闇と対等に戦う古老が、実生活では兄貴にかばわれたりする。
ウィル自身も家族をとても大切にしているので、
よき家族像を見ることができます。
仲いい家族って、こんな感じなのかなって思う。

今日は、ひっさびさの本紹介だから、とても真面目に話したよ!
ホラはあんまり入ってないよ。
だって真剣に、読んで欲しい話だから、 光の六つのしるし は。
何度読んでも、何度たどりなおしても、また読みたくなる、
わたしにとって大切な、大好きな話です。
でも、人によっては受け付けないって人もいるかもね!
そういうときは、「畜生、騙された」って呟いて
そっと本を閉じて、忘れましょう。
相性ってのがあるからな、無理には勧めないよ!

以上、ホラは一割くらいで。一割って少ないでしょ?(当社比)
わたしとしては誠実だと思うよ!
あくまで、わたしを基準にした場合ね。
普通の人を基準にしたら……まあ、いい加減かもね!
でも、わたしは気にしないよ!
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2011年8月 7日 (日)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――オリエント急行の殺人事件

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = オリエント急行の殺人事件 で。
そしてだれもいなくなった もありだけど、
わたし的な衝撃度は オリエント急行 のほうがあったので。
小学生の手が震えましたよ。名作。傑作です。
アガサ・クリスティ様は偉大な作家です。

上記はわたしが持ってるやつとは違うけど、ご参考まで。

季節外れもはなはだしいストーリー紹介。
舞台は真冬のヨーロッパ。すげえ寒い。
ヨーロッパを横断するオリエント急行が
豪雪の中で立ち往生する。
そのオリエント急行の中で、とあるアメリカ人が死亡した。
めった刺しの他殺だ。
雪の中の列車の一両という、密室の中で、
限られた登場人物の中から、犯人を探し出せ。
難解な状況だが、もちろん、犯人逮捕は不可能ではない。
なぜなら、灰色の脳細胞を持つ男 エルキュール・ポアロが
乗り合わせていたのだから――って話。

クるね、すっげえ、クるね。
オリエント急行という、ちょっと旅情をそそる言葉の響き、
雪の中の列車(ある種 密室)という舞台、
特徴があり、性格描写がおもしろい登場人物たち、
魅力的な、かつ引力的な、話の展開。
どこをとっても、おもしろい!
クリスティ様の人物描写は的確で、
最小限の描写で最大限の読者の想像力を動かす。
もちろん、読者が犯人を指摘することも不可能ではない。
不可能ではないのだよ、
じょじょに明らかになっていく真実を的確に捉えていたら。

つうか、最後のポアロの説明のところで、
ポアロの説明が七割済んだくらいのところで、
「え、ええっ、えええっ」って身震いが来て、
八割で、
「えええええええっ」ってなって、
九割で、
「そんなことって、あるの?!」と真実に気づいて手が震える。
この話のオチは言われるまでまったく気づかないんじゃないんです。
(容疑者Xの献身 は言われるまで気づかない)
ポアロの台詞から予想できる事態に、
話に参加して考えている読者は愕然とするんです。
自分もポアロの立場で、ポアロの目線で
すべてを見直して、気づくんです。
この話、読者は本を買った単なるお客さんじゃありません。
ポアロの分身、ポアロよりちょっと先に真実に気づく、
もうひとりの探偵になりきって話に参加できるんです。
すっごいよ、この話は、本当に傑作です。
クリスティ様の話の展開のうまさが
もう異常。
ただでさえ、すさまじいオチなのに、
そこへもっていくまでのクリスティ様の
ストーリーテリングが強力すぎて、
読者は自ら真実に気づいて、唖然とします。
世界で一番おもしろい推理小説はなに? と言われたら、
わたしは、この話を挙げるかもしれない。
容疑者X も捨てがたいが、
クリスティ様のオリジナリティの強さ、
レベルの、クオリティの高さ には脱帽。

ちなみに、シャーロック・ホームズ は別枠です。
あっちは世界一の探偵です。
その意味じゃ、ポアロは残念ながら、
世界一の探偵じゃありません。(わたしにとっては)
その代わり、
オリエント急行は 世界一の推理小説かも。(わたしにとっては)
初めて読んだのは小学生のときでしたが、
最後、マジで手が震えたもんね。
ページが、ページがめくれない!
ポアロの台詞を追う視線が、脳が考える結末の予想に追いつかない!
ポアロの推理に先んじて、想像が突っ走ります。
クリスティ様は、読者の想像力をいかに動かすかということを
よくご存知だった。
あと、作品のネーミングセンスが素晴らしいよね。
動く指 とか、 鏡は横にひび割れて とか、
意味深で思わせぶりなネーミングが素敵。
(もちろん、「ああああ、だから、このタイトルだったのか……」と
読後にわかる)

今回、 オリエント急行 を紹介してしまったので、
今後 クリスティ様の著書はたぶん紹介しないのだが、
ポアロのクリスマス もよかったな。
クリスマスシーズンに紹介したかったですね。
あと、ミス・マープル物も好きなんで、
そっちも紹介したかったかも。
ポアロ物なら、 カーテン なんかもしみじみとするのだが、
ミス・マープルだったら、なにかなあ。
全部好きだからなあ。スリーピング・マーダー とかかな。
探偵としては、 シャーロック・ホームズ という
突出したキャラクターが歴史上すでにいて、
新しく、斬新な探偵キャラを作るのは難しいと思ってましたが、
クリスティ様はミス・マープルでわたしの度肝を抜きました。
誰が想像したよ、こんな普通のおばあちゃんが
稀代の名探偵なんて。
ミス・マープルはおばあちゃんなのに、
すごい推理力を持っているのだが、
それはおばあちゃん(オールド・ミス)ゆえに持っている能力で、
説得力がある。
大好き。ミス・マープル大好き。
ポアロも、もちろん好きですけどね。

だってわたしは、ポアロとは気が合うからね。
ポアロもわたしと同じで、「快適」が好きで、不快が嫌い。
オールセントラルヒーティングが好きで、
甘いもの・おいしいものが好きで、
ちょっと皮肉屋で、でも友人思いで、
ていうか、ポアロの性格について語りだすと、
このブログ、終わらねえよ。
ポアロの性格とヒゲと頭の形について語りだすと、
あと三時間くらい、話してると思います。
それだけ魅力的なキャラクターなんだね。
やっぱり、クリスティ様はスゴイ作家だった。
推理物として、話がスゴイ作家様はいる。(話萌え)
推理物として、キャラがスゴイ作家様もいる。(キャラ萌え)
だが、話とキャラの両方が高レベルな作家様は
やっぱり稀だと思います。
さらに、物語として、
ストーリーテリングの腕まで問い始めたら、
わたしの中では、クリスティ様が
ミステリーの女王陛下ですね。
アガサ・クリスティ様の物語は、
小学生のころから読んでるんで、もう刷り込み状態です。
わたしはクリスティ王国の臣民です。
女王陛下、万歳。万々歳。

本当に、オリエント急行 読んでない推理好きは
損してると思うなー。
まあ、いまの日本の出版状況だと(新本格以降)
オリエント急行 が発表された当時ほど、
オリエント急行 の凄さはないかもしれないけど、
(先がわかる~、意外性がない~ など)
小学生の脳みそには刺激が強すぎました。
完璧に、洗脳されました。
騙されたと思って、オリエント急行 読んでみて下さい。
読み終わったら、
「なんだよ、畜生、騙された」って、言うかもしれないけど。
わたしは自分の言動に責任はとらないけどね。
はい、いっさい、責任はとりません。
誇りをもって、誓えます。

そんな感じで、今回は終わり~。
ホラは三割くらいですね。
洗脳されてる人間が、一心に宣伝しても
説得力がないかもねー。
それでもいいのさ、別に説得力がなくてもいいのさ。
わたしは オリエント急行 持って幸せだから、
それでいいのさ。
あなたが幸せになるかどうかは、あなた次第。
でも、オリエント急行 はお勧めだよ!
騙されてもいいひとは、騙されてください。

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2011年7月24日 (日)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――風にのってきたメアリー・ポピンズ

以下、ネタバレをふくむので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = 風にのってきたメアリー・ポピンズ(メアリー・ポピンズシリーズ) で。
前回の ドリトル先生 に続いて児童文学だけど、
別にいいよね。
いい本はジャンルがなんだろうと、いい本だからね。間違いなく名作。


ざっくざっく、おおぎりザックなストーリー紹介。
海のかなた、イギリスにバンクスさん一家という家族がいた。
両親に子ども四人(のちに五人)という大家族だが、
この家の子どもたち=サル山状態。
無秩序でしつけがなってなくて、
もう毎日 どうしたらいいのよ! って
ママがハンカチ噛みながら叫ぶレベル。
いや、子どものしつけは両親の責任だから、
ママが被害者のように叫ぶのはお門違いなのだが、
でもこの話はたぶんちょっと昔の設定なので、
いまほど子どものしつけ=親の責任ではないのかも。
なぜなら、当時は子守っていう職業の人たちがいて、
彼らは子どもの面倒専門のプロだったからだ。
だから、バンクス家の無法状態を解決するには、
子守がいればいいわけよ。
もちろん、ママは子守だの家庭教師だのを何人も
雇うのだが、来る人来る人、みんな
サルたち(子どもたち)と気が合わない。
もしくは銀器を盗んで、忽然といなくなる。(泥棒じゃねえか)
そんな困った毎日を送っていたバンクス家に
ある日、超凄腕の子守がやってきた。
どれくらい凄腕かって言うと、
スナイパー界における「ゴルゴ13」レベルの凄腕。
または、交渉人界における「MASTERキートン」「勇午」レベル。
もしくは、日曜日における「ちびまるこちゃん」「サザエさん」レベル。
たとえば、スーパーにおける「卵」「牛乳」「米」「食パン」レベル。
疑いなく、世界一の、人類史上一位の子守だった。
彼女は、バンクスのサルたちをも、あっという間にしつける。
そんな彼女の名前は、メアリー・ポピンズ。
ふらりと、こうもり傘(?)で風に乗ってやってきた、
詳細不明の謎の多い子守だ――って話。

メアリー・ポピンズはとってもプライドが高くて、
自意識が高くて(これは超一流だからしょうがないかも)、
鼻がつん、としていて、
魔法使い(?)で、
子どもたちを、いろんなふしぎな事件に巻き込みます。
メアリー・ポピンズと一緒にいると、
公園の大理石像が動き出したり、
絵皿の中に入ったり、
星座たちのサーカスに招かれたり、
ノアの子孫に会ったりする。
子どもたちはメアリー・ポピンズがいると
とびっきりの冒険をしながら、
自然によい道へ、正しい道へ導かれ、
よい子になっていきます。
でも、メアリー・ポピンズはずっと一緒にはいてくれません。
不思議な、ひとだからね。
ひとって言うか、たぶん人間じゃないけどね。
ふらりとやってきて、突然 いなくなって、
またやってきて、再びいなくなったりする。
メアリー・ポピンズがいなくなるたびに、
バンクスのママは悲嘆にくれるのだが、
どうしようもない。だって連絡先知らないし。
紹介状も履歴書も、もらってないし。

けどね、メアリー・ポピンズは超一流だから、
いなくなるのにはきっと、理由があるんだよね。
たとえば、自分がもう、子どもたちに不要だと感じたとかね。
子どもは、いつまでも子どもじゃない。
親はなかなかそれがわからないかもしれないけど、
メアリー・ポピンズには、わかるんだと思う。
子どもたちはメアリー・ポピンズにずっといて欲しいって願うけど、
メアリー・ポピンズは必要なときしか、いない。
メアリー・ポピンズが不人情ってことは、絶対ありません。
サルたちがどうなってもいいから消えるとか、
うざいから辞めるとか、そんなことは絶対にありません。
本に明記していないけど、絶対にない。
だって、メアリー・ポピンズは、優しいんだよ。
口ではとてもきついことばかり言って、叱るけど、
子どもたちのピンチには必ず駆けつけて守る。
慈しんでいなかったら、愛してなかったら、そんなことはしない。
だから、メアリー・ポピンズが姿を消すには
正当な理由があるんです。
自分だって別れるのはたぶん、とても辛い。
でも、子どもたちのためを考えて、彼女は自ら去るのです。
一流だね。
超一流だね。疑いなく。

わたしは、子供のころから、メアリー・ポピンズが大好きでした。
彼女が起こす不思議な冒険も魅力的だったけど、
なにより、彼女の性格が、とてもクールでかっこよかった。
メアリー・ポピンズは子どもを甘やかさないよ。
子どもにこびることもしない。
ちゃんと、大人として「子どもを子ども扱い」する。
簡単なことに聞こえるかもしれないけど、
「子どもを子ども扱い」できない大人って本当に多いんだよ。
実際問題、我が家の両親もできてませんでした。
まあ、貴族だからっていうのもあるんだが、
小さいころから、「大人扱い」でした。
つまり、「大人ならわかってる・子どもにはわからないこと」を
当然 言わずともわかっているだろう・できるだろうという風に、
子どもに接するのです。
これは、子どもにはとても辛い。
大人は、どうしても自分中心で考えてしまうから、
子どもがどう考えるか、どう感じるかって予想を、
「自分だったら」って考えてしまう。
しかし、その「自分」は「もう大人になった自分」で、
子どもの視線じゃないんです。
できて当たり前・無言でわかっている・説明は要らない、
そんな事柄が、子どもにはぜんぜんわからない。
子どもとちゃんと話すときには、
自分は大人なんだって自覚が必要なんです。
そういう自覚がない大人、多いですよ。

最悪なのが、そういうひとが教師になってる場合。
メアリー・ポピンズと正反対の場合ね。
もうこれは、最悪の最悪のパターン。
教師だ、子どもを見てるだ、言っておきながら、
子どもの視線がまったく理解できない。
だから、言ってることが上っ面だけ。空振りの正義。
当然、子どもを理解なんてしてない。
理解してる気になってるだけ。
たとえばイジメが起きました、誰かが加害者ですってときに、
「みんな、机に顔を伏せて。
いじめたひとだけ正直に手をあげなさい」とか言っちゃう先生。
駄目です。ぜんぜん子どもというものがわかってない。
ここで手をあげるような子どもは、そもそもいじめなんかしません。
逆に、いじめをするような子は、先生の前ではイイコにふるまっています。
こういう先生の「お気に入り」が陰でいじめをやると思う。
メアリー・ポピンズは、こんなアホなことはしない。
たぶんずばり、いじめっ子を発見して、容赦なく罰を与えるでしょう。
え、なんで先生にはわからないいじめっ子が
メアリー・ポピンズにはわかるのかって?
見てるからですよ。
ちゃんと大人の視線と、子どもの視線を見てるからですよ。
ひとりひとりの子どもを見てるから、わかるんです。
あと、メアリー・ポピンズは一流だからな!
まあ、フィクションの人物で、わたしが美化してるってのがあると思うけど、
それでも、メアリー・ポピンズは超一流だからな!
だから、子どもに簡単に騙されたりしないよ。
ゆえに、彼女は、子どもからしたら、手ごわい大人だけど、
でも信用できる大人。
本当に、自分(子ども)を大切にしてくれる大人です。

わたしは子守じゃありませんが、
子どもと接するときは、メアリー・ポピンズのスタンスを
見習いたいですね。
わたしはもう大人になった・大人の視線のひとです。
それを自覚して、子どもに話しかけます。
子どもにわかるよう、「なぜいけないか」「なぜいいのか」
できるだけ説明するし、
子どもにも「ありがとう」をちゃんと言う。
わたし自身には子どもがいないから、
話すとしたら、友人の子どもたちですが、
できるだけ誠実でありたいと思います。
子どもより親と話す時間のほうが多いから、
そんなに子どもと話す機会はないです。
でも、大切にしたいです。
ちゃんと、「子どもを子ども扱い」したいと思います。
メアリー・ポピンズが教えてくれたのは、
そういうことです。
メアリー・ポピンズシリーズは、だから、とてもいい本です。
大人にとっても、子どもにとっても、
大事なことがわかる本です。

蛇足ですが。
当初、メアリー・ポピンズは傘をさして風に乗って
空からやってくるのですが、
かつて琵琶湖の鳥人間コンテストで、
おんなじことをしてたひとがいました。
メアリー・ポピンズのかっこして、スキップしながら、
傘をさして台から飛びました。
落ちました。
当たり前ですね。(飛距離ゼロメートル)
でも、その精神(スピリット)が!
メアリー・ポピンズやったろうという、ウケを狙う精神! が、
わたしはとても嬉しかったですね。
ああ、ここにもメアリー・ポピンズと一緒に
子ども時代を過ごしたひとがいるなあと思いました。

以上、ホラ一割くらいで。
メアリー・ポピンズは超一流ですよ、これは鉄板です。
この部分はホラじゃないです。

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2011年6月15日 (水)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――ドリトル先生アフリカゆき

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = ドリトル先生アフリカゆき(ドリトル先生シリーズ)で。


これもいまさら、言うまでもないくらい、超名作。
小学校での必読本。いや、大人になっても読んでおけ。
これを読んで人生変わったという人もいるはず。
映像化に恵まれていないのが残念。

普通みんな知ってるだろ的なストーリー紹介。
むかしイギリスにドリトル先生というお医者様がいた。
このお医者様、一風変わっていて、
人間の医者→動物専門の医者に鞍替えした人物。
転職のきっかけは、飼ってたオウムから動物語を学んだこと。
なんと彼は世界唯一、空前絶後の
「動物語を理解する動物の医者」なのだ。もちろん名医。
そんな先生のところへ、アフリカのサルたちからSOSが届く。
病気がはやって、サルたちは大変なことになっているらしい。
サルたちを救うために、先生は船を用意してアフリカへGO。
そしてその冒険の結末は――って話。

このシリーズを読んで、獣医になった子供もいるんじゃないかな。
そう思う。
動物の言葉がわかるようになるってのは、夢だよね。
伝承ではこの世には「ソロモン王の指輪」というのがあって、
その指輪をつけると、ありとあらゆる生物の言葉がわかるようになる、
っていうのがありますが、
ドリトル先生は自力でそれをクリア。
初めはオウム語、犬語などだったが、虫語、貝語も習得。
努力を続ける先生に不可能はない。そんな感じ。
でも先生はとても謙虚で、お金や名誉に興味なくて、
いつも真摯に動物たちに良かれと思って行動してる。
捨て身だから、偽善じゃない。
動物たちも先生には本当に心を開いて、尊敬を示す。
ここには、人間と動物の理想の関係があります。
本当に、こんな風に動物と生きていくことができたら、いいのに。
うしおととら や 夏目友人帳 で考える
「自然(人間以外の生命)との共生」の西洋版理想像がここにある。
(日本版はまたちょっと違うと思うけど)

わたしは犬語と猫語なら、少しわかりますね。
たぶん犬と猫飼ってたことがある人なら、みんなそうじゃないかな。
でも、犬語と猫語を話すことはできない。
人間語で話しかけるしかない。
感情のニュアンスは伝わってると思いますが、
ドリトル先生ほど自由自在に意志疎通はできない。
正直、先生がうらやましいな。

でも、先生にも辛いときもある。
ペットショップの前を通ることができない。
売られている動物たちはみんな、
「先生、わたしを買ってください」って訴えてくるので、
悲しくて通れない。(全部を解放してあげられないから)
あと、先生は動物園もあまり好きじゃない。
動物を閉じ込めるのが嫌いなんだね。
あるがままの、彼ら(動物)が居心地がいいのが好きなので、
コンクリ張りの狭い檻に大型獣が閉じ込められてたりするのが、
我慢できない。
先生には先生が考える「動物園」ってのがあって、
シリーズの中にはそれが出てきます。
ここにも、人と動物の理想の世界がある。
それは作者ロフティング様の理想なんだろうけど、
けっして説教臭くはないです。
むしろ、「こうなったら、みんな(人間も動物も)幸せだよね」って感じ。
地球の理想形がここにあります。
見てみたいなあ、映画でもアニメでもいいから。

このドリトル先生シリーズは、映像化に恵まれてなくて、
ハリウッドで作られると、なんだか妙なコメディみたいになる。
わたしは言いたい。
余計なエッセンスはいらんのです。
もうそのまま、原作どおりでいいんです。
ビジュアルも、原作どおりの、あの温かい挿絵をそのまま再現。
それでいい。それだけの力が原作にある。
先生と、オウムのポリネシアや犬のジップ、アヒルのダブダブなど、
いつものメンバーがそろっていれば、
それだけで、原作を忠実に再現するだけで、
ゼッタイにおもしろくなるはずなのだ。
月へ行ったり、海底旅行したりするから、
実写よりもアニメのほうがいいかもしれない。
ただねえ、実際には動物語がわからないので、
ドリトル先生役の演技指導ができないんだよねえ~。
犬語を話す場面とか、貝語を話す場面とか、
どういう風に表現したらいいのか、わからん。
そういう意味じゃ、そもそも映像化に向いていない作品なのかも。

でも、読め。
読んでおけ。
世界観が変わるから。
極端な話、自分のペットを見る目が変わります。
ドリトル先生はどんな動物でも馬鹿にしない。
どんな動物の話も真面目に聞くし、真面目に見ます。
飼い主ってのはどうしても、ペットのおもしろい行動を見ては
「アハハハ」って笑ったりするけど、
ペットから見ると飼い主のほうがファニーなのかもしれない。
ドリトル先生のように、真摯にペットに対してみると、
意外と、彼らの賢さがわかるかもしれないよ。

ある日、わたしはふざけて、ウチの猫が鳴くたびに
踊ってみた。
「ニャー」→長く踊る
「ニャ」→短く踊る
「ニャニャー」→とても長く踊る
そしたらですね、何度か繰り返していたら、
彼女(ウチの猫)はついに
「自分が鳴くとこのひとが変な動きをするらしい」と理解しました。
理解した瞬間、彼女の尻尾がぶわわわあって大きくなりました。
衝撃だったんだろうね。
そのとき、わたしは「あ、いまの猫語はわかった」と思った。
猫は「びっくりした! とてもとてもびっくりした!」と言ってました。
猫って尻尾でもお話するんだね。
あと、基本、真面目なんだね。ジャレるときはあるけどね。
猫一匹だって発見はある。
おたくの猫だって、きっとなにかあなたに話しかけているよ。

ちなみに、猫の前で真剣に踊ってるわたしの姿は想像しないように。
え、どんな踊りだったかって?
創作ダンスでしたね。基本、くねくねと踊ってました。
もしかしたら、その動きもびっくりしたのかもね。
まあ、そんなことはどうでもいいんですよ。
猫と心が通じたことが大事なんで。
いまは踊っても無反応になりました。
もう慣れちゃった。

学生だったころ、何度か、「尊敬する人は?」って訊かれました。
わたしはアインシュタインとソクラテスが好きなんで、
そう答えてたけど、
いま改めて読み返してみると、「ドリトル先生」って答えもありなんじゃないの。
そりゃフィクションの人物だけどさ、
先生は本当に無欲で、努力家で、謙虚なんだよ。
こういう大人になりたかったけど、無理だったな。
ホラ吹きの対極だもんね。
けど、こういうひとが周囲にいたら、応援しちゃうな。
あと大好きになると思う。
いまだって、ドリトル先生、大好きだけどね。

以上、ホラ三割くらいで。
いや、ドリトル先生は大好きよ?
でも尊敬する人物であげるのは、空気読んでないかもね。
だいたい大人ってさ、実在の人間じゃないと認めないじゃない?
ときにはフィクションの人間のほうが真実に近いときがあるのに。
難しいね。ま、そこらへんがホラで。
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2011年4月18日 (月)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――嵐が丘

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = 嵐が丘(エミリー・ブロンテ様)で。
グラスハート にも 嵐が丘 ってタイトルあるんで、
著者名入りで。

いやー、この話は、心情的に辛いッスね。
ストーリーを簡単に要約すると、
「ヒトデナシの恋」です。
孤児で何も持たない・誰も愛さない男ヒースクリフが
生涯にただひとり、キャサリンだけを激しく愛する。
キャサリンはヒースクリフの愛を知りつつ、また、
自身もヒースクリフを愛しながら、違う男と結婚する。
この物語は、過去に起きた話を主人公が
ある女性から伝聞するという形で語られますが、
すべて過去のことなのに、主人公の前に、
ヒースクリフとキャサリンの葛藤がありありとよみがえってくる。
最後はヒースクリフの孤独な死の描写で終わるのですが、
それすらあまりにもリアルで、
主人公は追想にふけらずにはいられない――って話。

余談で、「嵐が丘に帰る」って話もありますが、
作者が別人なんで、正統な後日談じゃないです。

しかし、この話、辛い。
ある意味、伯爵カインシリーズ と同じくらい、辛い。
この話のテーマのひとつはヒースクリフとキャサリンの絆、
狂気と狂喜を帯びた絆だと思うんですが、
こんな恋愛、滅多にないよな。
それこそ、この物語は、他人なんか眼中に入らないヒトデナシが
恋をするとどうなってしまうかということのアンサーです。
幸せな結末にならない。
幸せになれないんだよ、こんなに愛しているのに。
誰よりも愛しているのに。
何よりも愛しているのに。
幸せに、ならないんだなぁ、どうしてだろう。
本当にどうしてなんだろう。
もしかしたら、生涯、ひとりしか愛さない人は
幸せにはなれないのかもしれない。
すべてをひとりに与えてしまう人は、
相手に魂すら与えてしまうから、
自身が幸せになる余地がなくなるのかなあ。
でも、それでも、本人は幸せなのかもしれないなあ。
どうなんだろう、ヒースクリフは幸せだったのだろうか。
すさまじい最期をとげるわけだが、
それでも、荒野を吹き抜ける風に「ヒースクリフ」という
キャサリンの声を聞き続けていた彼にとっては、
幸せだったのかもしれない。
「ヒトデナシの恋」は通常の基準で量れないので、
幸せかどうかは、わからないですね。
ある意味、東京BABYLON と対照的な物語です。

ただ、読み終わると忘我の境地です。
呆然として、「あああぁぁあ……」みたいな声が漏れる。
感想なんて、すぐに出てこないわ。
どうしても、あまりにも強いヒースクリフの思いに取り込まれてしまうので、
ヒトデナシの視点になってしまいますね。
なんでだよ、キャサリン。こんなに愛されているのに、
どうしてほかの男となんか結婚できるんだよ。
ヒースクリフもヒースクリフだよ、こんなに愛しているんなら、
駆け落ちでもすりゃよかったのに。
むしろ、心中してもおかしくなかったのに。
それでも、ヒースクリフは、キャサリンを直接殺すことは
できなかったんだろうな。
間接的に追い詰めたかもしれないけど。
ある意味、ヒースクリフはキャサリンを愛していたけど、
憎んでもいたと思います。
キャサリンの中にはヒースクリフがゆるせない部分があった。
それこそ、結婚とか、手に入りそうではいらないところとか、
ヒースクリフの胸をかきむしるようなことを平気でする女。
でもその女は、ヒースクリフにとって、唯一の女。
本当に、唯一の女で、唯一の他人だった。
キャサリンの視点以外の視点は、ヒースクリフにはなかった。
それを思うと、胸が痛みます。
ヒースクリフの世界は、キャサリンで完結していた。
だから、壊れることは、もう初めからわかっていた。
人はずっと仲良しの子どもではいられない。
成長し、大人になり、変わってしまう。
ヒースクリフは変わらなかった。キャサリンは変わった。
そういうことなのかなあ。
それでも、彼は彼女を愛した。
誰がなんと言おうと、侮蔑されようと、軽蔑されようと、
彼は彼女を愛していた。
それだけは真実。それだけは、それだけが、真実だった。

わたしはヒースクリフみたいな恋愛はしたくないですね。
正直、おっかないです。
相手を殺しかねない。
そんな激情が自分の中にあったら、怖くて夜トイレにひとりで行けません。
そんなことしたくないもんよー。
でも、どうなんだろうね、恋愛ってのは、多かれ少なかれ、
ヒースクリフ的な要素があるのかもしれないね。
多いか、少ないかは人によるけどさ。
わたしは、万が一、恋愛をしてしまったら、
ヒースクリフ的なことになりそうで、イヤですね。
極力、恋愛はしない方向で人生、生きていきたいと思います。
ええっ! それって大きな損だよ、って言われるかもしれないけど、
人を殺しちゃうよりもいいよ、たぶん。
そう思います。



以上、ホラ五割くらいで。
久々に小説について語りました。
最近、ベランダだの仕事だのなんだのがあって、
なかなか本とマンガについてまとめて語れないのが、残念。
またぽつぽつとできるときに語っていきたいです。
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2011年3月10日 (木)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――侏儒の言葉

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = 侏儒の言葉 で。

芥川竜之介様ですね。
ほかにもいろんな著書があるが、
わたしは芥川様では 侏儒の言葉 が一番好きだ。

では、いつものように無駄なストーリー紹介。
――ンなもん、ねえよ!!(力いっぱい)

はい。 侏儒の言葉 は
芥川様のお言葉集、超々短編随筆集みたいなもんなんで、
ストーリーはありません。
ビアス様の 悪魔の辞典 とちょっと似てます。
ある一言を、芥川様はどう解釈したか、
どう思っていたか ってことが載ってるだけです。
その解釈も、折々で変わるって明記されてるんで、
本当に「そのとき芥川様はこう思ってた」ってだけの
単語集みたいなモンです。
悪魔の辞典 や 侏儒の言葉 みたいな本を、
こういうジャンルを「箴言集」(しんげんしゅう)といいます。
まあ、ちょっと皮肉な名言集みたいなもんですね。
ほかにも西洋で言えば、
ラ・ロシュフコー様なんかも有名です。
気に入ったら、読んでみれば。

侏儒の言葉 でわたしが気に入ってるのは、
下記みたいなところですね。
(以下、岩波文庫・「侏儒の言葉」より引用)

「人生は地獄よりも地獄的である。
地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことがない。
(中略)
しかし、人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない」
「わたしは不幸にも知っている。
時にはうそによるほかは語られぬ真実もあることを」

地獄関連のくだりがなぜ気に入ってるかというと、
「地獄=苦痛は苦痛だが、その苦痛は単調で、法則を破らないが」
(針の山だったら、単純に針に突き刺さるだけで、
上から石が落ちてきたりしないが)
「実際の人生は実は無理だと思ったことが簡単にできたり、
簡単にできたことができなくなったり、
法則性がないので、そりゃやりづらくて苦しい」
「それに比べりゃ、地獄の苦しさは単調なんでいずれ慣れるよ」ってとこ。
だから「人生は地獄より地獄的」ってことですね。
これは個人的に名言だと思ってる。
そのほか、トルストイについてのくだりなんかも好き。
あと、うそにまつわる名言は好きですね。
わたしはホラ吹きなんで。

侏儒の言葉 を読んでると、
芥川様にもユーモアのセンスがあったことはよくわかります。
どこか自分(人間)を客観視して、笑うような部分がないと、
箴言は書けないと思います。
同時に、こういうセンスがある人は、
生きていくのが大変だろうなぁとも思います。
自分を客観視できるひとは、
自分の愚かさや醜さも直視しちゃうんで、
けっこうつらい。
自分に酔えない部分がありますからね。
笑える方向へ持っていければいいんだけど、
笑えない・マジで絶望するような部分を直視しちゃうと、
死にたくなるだろうと思います。
こうやって、本にするくらい、書いてるくらいなら、
まだいいけど、
外へアウトプットできなくなると、どんどんどんどん、
追い詰められて、自殺へ近づくと思います。
ほかにもいろいろあったんだろうけど、
だから自殺しちゃったんだろうな。
たぶん、蓄積されるものに対して
アウトプットが追いつかなくなったのではなかろうか。
あくまでも、わたしが勝手に思うに、ですよ。
よく言われる「ぼんやりした将来への不安」ってなんだったんだろう。
自殺の真因は、いまとなってはわからないですけどね。

芥川様は物語の面白さが小説の質を決めるんじゃない、って
意見だったらしいので、(すまん、伝聞だ)
わたしとは逆の意見なのですが、
どうなんだろうなあ、わたしは、「小説=面白い」のが一番だけどなあ。
面白くない小説って、個人的には
読んでて楽しくないから、読みたくない。
わたしの考えは、おそらく古いと思います。
わたしの考えは、人類が洞窟に住んでて語り部が物語を
語っていたころと基本、変わってないので。
わたしは、やっぱり、物語・小説は面白いのが好きです。
わくわくしたり、「で、で、次は? 次は?」となるのが好き。
わけがわかんない小説は、
そりゃまぁ、たまに読む分にはいいかもしれんが、
毎日読んでいたいとは思わない。
だって、体調が悪いときにそんなの読んじゃって、
うっかり感化されたら、自殺しちゃうじゃないですか。
もっとこう、生きる意欲をかきたててくれないと。
いろいろプラス方向のものを見せてくれないと。
だって、世界はこんなに広いんだよ。
だって、まだ見たこともないものがいろいろあるんだよ。
そういうのを、新しいものを、見せてくれよ。
本なんて、厚さ十センチないくらいの紙の集合体ですが、
その中に、すっげえ、すっげえ面白いものが詰まってる。
素晴らしいじゃないですか。
だからいいんじゃないですか。
そう思う。わたしが勝手に思うに。
古い考えなんだろうけどな。

こんな感じで、自分がクラシカル・
石器時代からのホラ愛好者であることを確認して、
今回は終わり。
でも、どうなんだろ、周囲に読んでる人がいないからわかんないけど、
面白くない小説って、面白いの?
小説から面白さを引いた場合、あとほかになにが残るの?
ええと、面白くないものを、なんのために読むのかな?
それとも、面白くないってところがイイの? わかんないけど。
面白くないとなぁって思うわたしは、チェリーなの?
大人になったら、わかるのかな?
誰か、わかる人がいたら、教えてください。
以上、ホラ三割で。まあ、そこそこホラで。
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2011年3月 2日 (水)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――王女とゴブリン

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = 王女とゴブリン で。


これも名ファンタジーですね。
知らないほうがおかしいよレベル。
というか、マクドナルド童話全集は小学校の基本書。
有名だろ。
マクドナルドっつっても、あのドナ●ドじゃないよ。

一周回って戻ってきたストーリー紹介。
主人公の王女様は王宮を離れて、地方の別宮で育てられた。
ある日、王女様はひょんなことから
鉱夫のカーディー少年と知り合う。
カーディーはまっすぐな心の立派な少年。
そんなカーディーは地下に住むゴブリンたちが
王女を狙っていることを知る。
カーディーは王女を守るために立ち上がり、
そして――って話。

この話だけでもすごくいい話ですが、
続編の 王女とカーディー少年 のが好きですね。
まっすぐだったカーディー少年が思春期になって、
ちょっと斜めに物事を見るようになってしまう。
その変化はいい変化ではなかったが、
やがてある老女がカーディーを教え諭し、
カーディーは王都へ引っ越した王女を助けるために
冒険の旅に出る――って話。

カーディーが斜めになるあたりがリアルだと思います。
斜めになって、それから自分が犯した罪に気づいて、
後悔する。ここらへんがとてもいいと思う。
老女はカーディーの出発にあたり、
カーディーにある力を授けます。
それは、カーディーが相手の手を手で触ると、
相手の本当の姿がわかるという能力。
悪人に触ると動物の手足の感触が、
無垢なものに触ると人間の手の感触がする。
つまり相手の本当の心を見抜く力です。
これは怖い能力ですよ。
実際に自分が触られたら、どんなんだろうと想像する。
たぶん人間の手じゃない。
ええと、そうだな、猫の手じゃないかな。
寝る時間長いし、基本 気まぐれだし、
でも集中力があるときはあるし。
ダメかな?

その人の本当の姿って、知るのが怖い。
カーディーは心の強い少年なので、
その能力をきちんといい方向へ使うことができますが、
普通の一般ピープルにそんな能力があったら、
発狂すると思う。
だって、自分の家族や友人を触ったら、
毛皮だったり、虫の手だったりするんだぜ?
おかしくなっちゃうだろ。
なにより、自分で自分の手を触ったとき、
人間の手じゃなかったらどうしよう。
これは怖いですよ、本当に怖い能力です。
老女も、とてつもない能力を与えたもんだな。

この老女、正体不明なんです。
作中では王女のご先祖様的な描かれ方なんですが、
どう考えても人間のスペックを越えている行動をする。
魔法使い? 聖人? って感じ。
基本、イイヒトなんですが、厳しいときはとても厳しい。
でも「プラス」側のひとであることは間違いないです。
「マイナス」側のレイストリン(ドラゴンランスの回参照)みたいな
魔法使いじゃありません。
結局、謎は解かれないまま、老女は正体不明なんですが、
それはそれでいい感じ。
ちょっと 天守物語 を思い出します。
階上に住んでいる謎のおばあさま。
ちょっといいな。うちにもそういうおばあさま、いないかな。

って、わたしには自分の本当のおばあさまがいますが、
あのひとは正体不明とかそういう問題じゃないよ!
一般ピープルというくくりを超越しています。
いや、超越してるって意味じゃ、老女と同じなんだけど、
うちのおばあさまは絶対に「プラス」じゃないよ!
確信犯で愉快犯なんだよ。
わたしに対する潜在的な脅威です。
いかん、考えたら、お腹が痛くなってきた。

マクドナルド全集には、王女とゴブリン、他、
金の鍵 とか素敵な童話がたくさんあります。
絶版になっているけど、できるだけいろんな人が
読めたらいいと思います。
図書館で探してみてください。
七十年代からあった図書館なら、納入されているかも。
めぐり合えたら、まずはご一読を。
いい本です。
すてきなファンタジーだと思ってます。
大人だってファンタジーを読んでいいんだよ。
いい本は、大人だろうが子どもだろうが、読む楽しみがあるんだよ。
大人ゲないとか、子どもっぽいとか、
そういう分けはありません。
いい本は、いつ誰が読んでも、いい本なんです。
飛びっきりの物語なんです。
世界を楽しむように、物語を楽しんでください。
わたしには読書が至上の喜びです。

以上、ホラ一割で。今回はホラ少ないよ。
途中でお腹が痛くなってきたからね。
でもホント、いいファンタジーってまだまだあるんです。
指輪物語 や ナルニア に比肩する物語がある。
そう思うと、わくわくしませんか。楽しくなりませんか。
わたしは楽しいですね。次にどんな本と出会えるのか、
想像するだけで楽しいです。
お腹痛くても。
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2011年2月23日 (水)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――車輪の下に

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = 車輪の下に で。


ヘッセ様の名作。
ヘッセ様の詩もすばらしい。愛読してます。
デミアン でもいいかなと思ったけど、
今回はより共感が持てる 車輪の下に で。

えこひいきなストーリー紹介。
主人公ハンス少年は秀才。親や故郷の期待を一身に受けている。
難しい試験にも受かって、いい学校へ入ることができた。
だが、成績が急に悪くなる。
すると先生は彼を呼び出してこう言う。
「弱ってはいけない、
さもなければ車輪の下敷きになってしまうから」。
恐れていたことは現実となる。
ハンスは見る見る成績が下がり、
学校から追放され、鍛冶屋の徒弟に入る。
しかし、そこにも彼の居場所はなく、
やがて彼は川に落ちて――って話。

子どもを持つ親には、必ず一度読んでもらいたい本。
胸がつまる物語です。
ハンスと同じような思いをしている子どもたちが
全国に何人いるでしょう。
「君ならできる」「期待している」という言葉で、
前へ前へ押し出され続ける子どもたち。
もう一歩も先へ行けないほど疲れきり、
ハンスと同じ運命をたどる子どもたち。
わたし自身、中学受験の経験者なので、
大人が子どもに「期待」という名の重責をかける
ことがあることを知っています。
受験が終わったときは、本当にほっとしました。
ああこれでやっと、
あんな身の置き場がないような気持ちとはお別れなんだ――。
でもそうじゃなかった。新しく入った学校では
また成績競争が待っていました。
成績競争は、大学入試まで続きました。
そのころには、もう、わたしは疲れきっていました。
わたしがハンスと同じ運命をたどらなかったのは、
よき友に恵まれていたから、というだけです。
わたしには理解者がいた。
だからハンスと同じにはならなかった。

車輪の下 がどんなものか、
いまの日本社会の学生なら、みなわかるでしょう。
特に成績優秀で、いつも両親や周囲に
「頑張れ」「頑張れ」と言われ続ける子どもなら、
自分を押しつぶす車輪がどんなものか、わかるでしょう。
車輪に負けずに、車輪を押し返すことができる子供もいるけれど、
ハンスと同様に、車輪に潰されてしまう子どももいる。
親を殺したり、自殺したり、
疲れきって病気になったりする子どもたち。
わたしは痛ましくて痛ましくてたまりません。
当たり前のことだと思いますが、
人間は幸せになりたい生き物なんです。
幸せになることが夢なんです。
それは、いい学校を出て、いい企業に入れば、
保証されるものではありません。

でも、悲しいけれど、
日本が学歴社会であることは
重々承知しています。
ある程度の学歴がなければ、就職することも難しい。
日本では、誰もが車輪の下をくぐることになっている。
車輪の下をくぐらないものは、低学歴者として扱われる。
かといって、車輪に潰されてしまったら、それでもう終わり。
そう思うと、やはり胸がつまります。
ヘッセが自身の経験を元に 車輪の下に を
書いたのは1906年です。
そのころから、車輪の下は変わっていない。
子どもを押しつぶす車輪は回り続けている。

わたしは、学校が必要なことはわかっています。
なにも教えてもらえない子どもは、なにもできない。
だから自分とは何か、社会とは何か、自分にできることは何か、
教えてもらう必要がある。自身の可能性を試すために学ばねばならない。
生きるために、学校は必要です。
しかし、矛盾してしまうけれど、学校に殺されてしまう子どももいるのです。
子どもを生かすはずの学校で、殺されてしまう子どもがいる。
どんなに苦しいでしょう。どんなに悲しいでしょう。
どれほど助けてほしいと願うでしょう。
でも、両親は言います。「あなたはやればできる子なんだから、頑張って」。
教師は言います。「君はいいものを持っているんだから、頑張って」。
頑張り続けて疲れきって死にそうな子どもにかけられる重い期待。
頑張って、頑張って、頑張って。
――ごめんなさい、でも、もう頑張れない。
そう思い、潰されていく子どもたち。
つらい、つらい現実です。

わたしは笑っているのが好きです。
アホなことをやらかして、みんなで笑うのが好きです。
悲しいことはキライ。つらいこともキライ。
本当は、車輪なんてなければいいと思う。
そう思うと、やっぱりヘッセ様の 車輪の下に は
世界に必要とされる物語なのだと思います。
この物語には子どもの悲鳴が詰まってる。
それから目をそらしてはいけない。
そう思います。
少なくとも、車輪を経験した自分は、
子どもを車輪の下へ押し出す大人にはならない。
絶対にならない。
もっとも、わたしは独身主義で自分の子どもがいないんで、
車輪の下はありえないですけどね。
それがまあ、救いかな。

そんな感じで、センシティブに振舞ってるけど、
実は鼻の穴をほじってる感じで、今回は終わり。
ホラは六割~七割で。
いや、わたしはそこまで悲惨な人生送ってないんで。
車輪の下に のハンス少年のように、
傷だらけになった挙句、水死とかいう人生じゃないんで。
ユーモアのセンスがあるんで、そこまで堕ちないですよ。
とりあえず笑って、笑って。
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2011年2月21日 (月)

この本がおもしろい。わたしが勝手に思うに。――優駿

以下、ネタバレを含むので、いやんなひとはバックプリーズ。

今回は = 優駿 で。


宮本輝様の名作、だと思ってる。
読後、しみじみとした余韻の強さがハンパなかった作品。
個人的には多田にシンパシーがあるかな。
宮本輝様は 星々の悲しみ とか 錦秋 とか
川シリーズとか、ほかにも好きな作品はたくさん。
でもやっぱりどれかひとつといわれたら、 優駿 かな。

追憶によるあいまいなストーリー紹介。
北海道の牧場である日、子馬が生まれた。
オラシオン(祈り)と名づけられた子馬は
ジョッキーや馬の所有者や所有者の腹心など
さまざまな人々に波紋を広げながら成長していく。
最後には競馬の最高峰・日本ダービーに出馬し、
そして――って話。

各キャラが一章ずつメインになるような構成です。
だが、その結果、浮き出てくるのは、
中央の、空洞となっているオラシオンの姿。
各キャラが思うオラシオン像が浮き出てくる。
オラシオンは馬だから、特にコメントはありません。
でもそれぞれの人たちの思い入れによって、
オラシオンの姿が鮮明に浮き出てくる。
オラシオンも主人公の一人、
いや、オラシオンこそが主人公=優駿なのです。
それが強くわかる物語。
無言の主人公という斬新な構成が
抜群のストーリーテリングによって描き出される
本当に名作。

特に、最後の部分がもう、秀逸。
ダービーでオラシオンの出走結果に
問題が出るが、判定で一着となる。
そのとき、キャラクターのひとり 多田は
本当はみんな負けたと思う。
オラシオン本人すら、負けたと思う。
清らかな志を曲げず、勝ったのはただひとり、
オラシオンの生産者の青年だけ。
多田はそう思い、もう一度その青年の顔を見たくて、
競馬場内へ戻ろうとするが、
人波で戻ることはできなかった――。

うおおおおおおっ、今そこだけ読んでも血がたぎる。
じーん、とします。
なんというか、宮本輝様は
「戻ろうとしたけど、戻れない」物語を書かせたら、
超ド級のストーリーテラー様です。
時間経過、人間関係の変化によって、
なにかを得て、そしてなにかを失ってしまう。
失ってしまったものは、取り戻せない。
そういう物語を書かれる作家様だと思います。
すごいよ、本当によくこんな作品を書かれたと思う。
いつ読んでも、いま読んでも、十年後に読んでも、
やっぱり 優駿 の最後には感動すると思う。
心が震えると思う。

優駿 には本当にさまざまなキャラクターが出てきます。
馬の生産者から、ジョッキーから、馬の所有者から、
馬の所有者の腹心、馬の所有者の娘、などなど。
それぞれのキャラクターを結ぶ糸があって、
ある糸は強く結ばれて切れることはないんだけど、
別な糸はぷっつり作中の展開で切れてしまう。
切れてしまうほうがわたしは気になりますね。
具体的には、馬の所有者と、馬の所有者の腹心の関係。
この二人は本当に互いを信頼しあっていたはずが、
ほんのちょっとしたことから、腹心は所有者を裏切ってしまう。
この腹心が「多田」という人物なんですが、
こいつがオラシオンの名付け親。
そう思うと感慨深い。
人を裏切ってしまうような男が「祈り」という名前を
子馬につけたのです。
彼はなにを祈りたかったのでしょう。
子馬になにを重ねたのでしょう。
このあたりはもう、原作を確認しろ! って感じ。
このブログ読んでいるとわかると思いますが、
わたしはこういう、眼鏡が似合いそうな、
怜悧なタイプが大好きなので、
死神・多田がお気に入りですね。

ちなみに、死神というのは、競馬関連では
絶対に当たらない予想をする人のことです。
わたしの友人にもひとりいました。
一着・三着とかを当てるんですよ。よく。
で、ワイド馬券が出てきたときからは、
一着・五着とかを当てるようになる。
とにかく、博才がない。ギャンブルにむいてないタイプ。
これが死神です。死神と同じ予想になったら、
そのレースは買わないほうがいい。
それくらい、死神のパワーってすごいよ。
わたし自身は博才あるので、数年やりましたが、
競馬はとんとん・ちょっと黒字で終わりましたね。
赤字にはならなかった。
あまり負けません。ちなみに分析とかはあまりしない。
名前が気になったからとか、
馬が好きだからとか、そういう理由で馬券を買って勝つ。
でもいまはもう、ギャンブルは一切やりません。
どういうものだかわかったので、もういい。
もっと違うことがやりたいので、そっちをやってます。
たとえば、ブログとか、読書とか。
こっちのほうがスリリングで、おもしろい。
あ、でも、 優駿 は競馬をやったことがなくても、
じゅうぶん楽しめると思います。
ノー問題です。とてもおもしろい物語だから、大丈夫。

正直、わたしは「文学」ってのはさっぱりわかりません。
お勧め文学って言われて読んで、
「よくわからん??」となること多し。
でも、おもしろい「物語」ならわかります。
優駿 は抜群におもしろい。
とびきりの物語です。
やはり宮本様は素晴らしいストーリーテラー。
祭壇を築いて拝む必要がある。
祀る必要がある。
祀ります。いつものように黒呪文唱えながら祀ります。
宮本様がいついつまでもお元気で、
たくさんの物語を書いてくださいますように。
それ以外の祈りはないです。
このあたり、わたしは多田よりだいぶシンプルだな。
ファンなんてものは、単純ですね。

では、今日もこんな感じで、
ダレっとした感じで、終わり。
今日はホラ二割くらいで。
かなり語りましたが、ホラは少ないな。

死神はねー、本当にいるよ。
なぜに、と思うほど、予想が当たらない人っているんです。
もし「あれ、それってオレのこと?」と思ったら、
ギャンブルは即やめなさい。破滅します。
あと基本、「絶対取り返す!」と熱くなってしまう人は
ギャンブルむいてません。なぜなら取り返せないからです。
ギャンブルは胴元が儲かるようにできている。
ごくたまにものすごく勝てても、
最終的には胴元が勝つようにできている。当たり前。
だから、ギャンブルは、楽しみ程度で抑えたほうがいい。
ムキになってはいけません。
男爵とのお約束だよ!

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