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2014年4月27日 (日)

美しいこころ。

前回までのあらすじ:
 いつものように、持病が悪化して入院した男爵。
 でも、やってることは 単なるろくでなしだよ!
 人生いろいろ起きてるけど、
 平常心とユーモアと心のゆとり、それに夢とホラがあれば、
 どこにいたって、楽しいよね。
 つーか、強引に力任せでなにがなんでも
 「楽しい」方向へ持っていく心意気。
 そんな男爵は今週は何をしていたのかな?!

特に何もしてません。
ええ、この前やらかした「病室内での花見」がたたって
(そのときの日記は下記:)
http://blacksheep.txt-nifty.com/blog/2014/04/post-6847.html
婦長直々の監視下にあり、
身動きが取れないのです。

そんなんだから、
やることと言えば、
「ベッドで横になっていろいろ考える」程度です。
いや、いまの時間は雌伏の時なのです。
今のうちにいろいろ仕込んでおいて、
退院前に少なくとももう一回くらい、
病人仲間の斎藤君と非日常体験をやるつもりです。
だからあえて、今は従順な病人を装ってます。
ははは、そのうちまた、病院の伝説を作るよ!

てなことで、
だらーっと横になって、ぼけーっと物事を考えてるわけです。
一日。
ただ漠然と考えていても、つまらないので、
毎日「脳内お題」を作って考えてます。
だから、妄想というより、考察に近いかな。

本日のお題、それは、
「美しいこころ」です。

病人やって入院すると、
そりゃいろんな人に会います。
大部屋で一緒になったりすると、
否が応でも人間関係が発生します。
そこのところは、オレも斎藤君も慣れたもんですが、
それでもちょっと、
「ひとりになりたい……」と思うこともあります。
そうですね、向かいのベットで寝ていた人の顔に、
白い布がかけられて、ストレッチャーでどこかへ運び出されたりすると、
かなりブルー入ります。

そんなときでも、場の空気が読めないんだか、読む気がないんだか、
という人も同部屋にいます。
いつも通りにせわしなくオレに話しかけてくるのですが、
こちらはナーバスになってるので、
「へえ、そうなんですか、あのひとがそんなことをねえ」
「へえ、そうなんですか、もう三日もお通じがないんですか」
「へえ、そうなんですか、今日のおやつはリンゴゼリーですか」
などととオウム返しにするばかりの会話になります。
いかんいかん、オレのユーモアはどこへ行った?
反省し、そしてふと、
「どんなときでも 美しいこころ ってどういうこころだろう?」と思いました。

このテーマは意外と深くて、
一日 考えるに値します。
よって、本日のお題は「美しいこころ」になりました。
オレの考察が始まります。
以下、オレの脳内。

「美しい」という形容詞がそもそも漠然としているよな。
どういうものが美しいというものなのだろうか。
動物学的には左右対称の顔が美人らしいというのがあるが、
それは外見の話だからな。
こころ、とした場合の「美しい」はどんなんだろうか。
例えば、マザー・テレサみたいなのが、美しいというのだろうか。
マザー・テレサはちょっと普通以上に美しすぎて、偉人すぎて
一般的な「美しいこころ」というには、大きすぎるのではあるまいか。
オレが考える 美しいこころ はもっとこう、
路傍の花のような、身近にあるけど、感動するような こころ だな。

そういえば、ドストエフスキーは「美しい人間」を追及して、
『白痴』を書いたわけだが、
あれはハッピーエンドのような、アンハッピーのような、
微妙な終わりだったよな。
それに主人公の青年は結局、周囲に理解されることはなかったし。
美しいこころ は理解されがたい、孤独も内包しているのだろうか。
オレ自身が 美しいこころ ではないので、
よくわからんが、カリスマな人は孤独ではあるよな。
美しいこころ=カリスマとは限らんか。
じゃあ、美しいこころ には引力がないんだろうか。
そんなわけないよな、
美しいこころ がそばにあったら、
きっと好きになるし、引力を感じるよな。

ちょっと待てよ、
本当に好きになるのかな?
ドストエフスキーの場合、周囲の人は特別好きにはならなかったよな。
実際問題、自分は内面に醜さを抱えているわけで、
それが 美しいこころ の人にどう見えるか、
かなり厳しいだろ。
もしかしたら、「いやー、見ないでぇ」ってなって、
美しいこころ を遠ざけるという展開もあり得る。
つまり、美しいこころ の人はやっぱり、
ちょっと孤独もあるのかもしれんな。
それはかなり悲しいなあ。寂しくないのかな。

オレが知ってる中で、一番 美しいこころ のひとは誰かな?

人生を思い返して、 ひとりしか、思い当たらない。
あのひとは、美しいこころ の持ち主だったと思う。
でも別に、人から疎まれたり孤立とかはしてなかった。
むしろ、お葬式では、みんなが泣いていた。
「あのひとの悪口を言う人を聞いたことがない。
 あのひとが悪口を言うところを聞いたことがない」って
ご家族が言ってたな。
そりゃあまあ、葬式の場で悪口言われるって言ったら、
かなりな極悪人だけど、
それでも、家族が、
「悪口を言うところを聞いたことがない」ってのはレアだよな。
誰だって、家族に愚痴くらい言いそうなもんだしな。
それすらなかったのは、
やっぱり 稀有な 美しいこころ の持ち主だったんだろうな。

ここまで考えて、オレはちょっと泣きました。
オレはあのひとが大好きだったので。
ろくでなしなオレですが、
あのひとは いつもオレの冗談に笑ってくれました。
ご飯を一緒に食べて、一緒に桜を見てくれて、
「ああ、きれいだねえ」と言ってくれました。
あのひとは、花のことをきれいだと言っていたけれど、
本当にきれいだったのは、
さんざん苦労していたのに、『世界』を美しいと思えるあのひとのこころ
じゃないだろうか。
ああ、そうか、
美しいこころ ってのは、そういうものか。

どんな逆境にあっても、
『世界』は美しい と肯定できるこころ が
美しいこころ なんじゃないだろうか。
こころは世界を映す鏡、
美しい世界が映っていたのなら、
それは、 そのひとのこころが美しいから ではないだろうか。

そういう結論に至り、
オレは壁へ向かい、しばらく背中を丸めてじっと涙をこらえてました。
オレの心は別に美しくはありません。
善悪もある、普通だと思う。
でもなんだか、普通の心のオレですが、
きれいな、美しいこころのひと と一緒にいた時だけは、
オレもこころが澄んでいたような気がする。
ああ、そうか、こんなに世界はきれいなんだって、
教えてもらってた気がする。

もしまた、美しいこころのひと に出会えたら、
オレはとびっきりのホラと冗談で、
そのひとを笑わせたいと思います。
きっと、そのときは、オレも 美しいこころ のおすそ分けを
もらってると思う。
いつかまた会いたい。
そう思って、オレは壁から向き直って、
隣のベッドの人の
「そんでさー、四日ぶりのウ●コが固くてさー」という話に、
「そりゃ、大変でしたね」と熱心に相槌を入れました。
いまのオレにできるのは、
こんなことくらいです。


以上、ホラ七割程度で。
美しいこころ のひとはいるよ。本当にいるよ。
奇跡みたいなひとが、本当にこの世界にはいる。
いつか絶対に出会えるよ。
そしたら、そのときは、そのひとを 大切に大切にしてください。
きっと一緒にいるだけで、
幸せになれるから。
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「ああ、オレもそういうひとに会ったことあるわ」って方、
「まだ会ったことないけど、会いたい」って方、
「なんつーか、オレ自身が 美しいこころ ですが、なにか?」って思った方は、
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世界は美しいですよ。
病気してても。苦労してても、不幸でも。
オレはそのことを、あのひとに教えてもらった気がします。

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