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2011年7月 6日 (水)

貧乏について思い出してみる。

毎日 暑いです。
こういうときは家で本かマンガを読んで盛りあがるのが一番。
(例年の習慣としては、夏=怖い話=暗黒神話を読む)
でも、改めて思ったんですよ。
この世には、チェーン店ができるくらい、図書館ができるくらい、
amaz●nが成立するくらい、本やマンガがあると言うのに、
まぁ、ほぼ無限にあるのに、
お小遣いは有限。ちっさ。未読本の分量に対して、お小遣い少な。
結果、入手できる本とマンガの量が少ない。
これは、絶望しますよ。
読書はわたしの生きる糧なんで(ライブもそうだが)(生きる糧多いな)、
本とマンガが手に入らないのは、絶望する。

でも、現在の状況は貧乏とは違うよね。
単純にお小遣いが少ないだけだからね。
そもそもなんでお小遣い制かというと、
かつて爵位を継いだとき、自由に金銭を使用できるようになったわたしが
家が傾くくらい(財政的にも、物理的にも)本とマンガを買いまくったため、
おばあさまに強制介入された結果、
お小遣い制になったのだ。ある意味、自業自得なのか?
いまじゃ、毎月、月初に執事から●万円を渡されて、それで終わり。
●万円なんかじゃ、アーサー・ランサム全集が買えないし、
趣味のアンティークのティーカップ集めだってはかどらない。
友人たちとカラオケや徹夜の語りにだって行けない。
無理。無理だから、小遣いの額を一桁上げてほしい。
何度もそう執事に言ったのだが、
あの野郎、おばあさまにゼッタイに伝えないのだ。
どうやらわたしが資金繰りにヒイヒイ言ってる姿を見て、
楽しんでいるらしい。
なんて黒い人間関係だ。心がささくれる。
おまえ、それでも「ご主人様が第一です」な職業二位の「執事」なのか。
(ちなみに一位はメイドさん)
わたしが「執事」という職業に夢を見ているように、
どうやらあいつにも「理想のご主人様」ってのがあるらしく、
そしてそれがわたしとかなり離れているらしく、
そのギャップをすべてストレス=黒い人間関係で解消しようとしているらしい。
バカヤロウ、理想のご主人様なんてこの世に存在するわけねえだろ。
理想の異性が存在しないのと一緒だよ。
それは青い鳥だ。見果てぬ夢なんだよ。夢だから、美しいのだ。
現実は自分の家の裏庭にあったりするのだよ。
花の子ルン●ンみたいにな。

話がそれた。
えーと、本題に入ります。つまり、今回わたしが言いたいのはですね、
「貧乏ってハンパねえぞ」ってことです。
お小遣いが少ないなんてのは、まぁ、シャレになりますよ。
しょうがないことだしね。
でも、ホンマモンの貧乏・生活困窮レベルになると、シャレにならん。
わたしは十五歳で独立したので、
それから何年間かそこそこ貧乏生活をしたのだが、
お金ってホントに大事だなあと思ったよ。
具体的に言うね。
わたしが陥った貧乏は、支給される金額は一日三百円、という貧乏。
つまり食費・お小遣い・服飾費もろもろをひっくるめて、
「一日三百円で生活する」というもの。
まず、米がないって、致命的。米が高くて買えないんだよ。
味噌も買えない。醤油も買えない。
なんでこんな羽目になったかというと、
まだ就学中なのに独立したからです。
十五歳と言ったら、現代日本ではかあちゃんにご飯作ってもらって、
とうちゃんにお小遣いをもらってる年齢。
なのにわたしときたら、家こそ離れになったものの、
本格的に独立してしまいました。
料理なんて作ったことないお・洗濯だってしたことないお・
ってな人間が、いきなりの独立生活。
さすがに就職できない年齢なので、
見かねたおばあさまが「昼食代として一日三百円は援助しましょう」
って言って、毎日百円玉をもらう生活に。
テレビでやってる一ヶ月一万円生活は、最初に万札をもらえるでしょ。
違うの、わたしがやったのは、毎日ちゃりんちゃりんと小銭を
もらうタイプの貧乏生活なんだよ。
だから、まとめ買いなんてできない。
毎日パン一個で生活しながら、あまった小銭をためて米を買った。
野菜も根菜類は皮まで食べる(キンピラとかにした)。
購入する野菜は当然、全部見切り品。
電子レンジ・炊飯器はコンセントから抜いておく。
テレビとエアコンは遅れて導入された(テレビ=自力/エアコン=おばあさま)。
CDなんて買えねえよ。それでも本は食費を削って購入。
一食抜いても死なないけど、一冊抜いたら、話がわからなくなるからな。
生命にかかわるから、買う。
食パンも高くて買えないので、自分でパンを焼きました。
でも、なんだろ、貧乏って手間がかかるという意味で大変だったけど、当時、
わたしレベルの貧乏はたぶん、ぜんぜんヌルイと思ってたよ。
だって三百円もらえるから。
世の中、三百円ももらえない人もたくさんいるからな。
そういう状態は、本当に辛い。
もし三百円がなかったら。
そう考えると、もう首吊りものです。たった三百円。されど三百円。
わたしは、自分が路上生活者になるかもしれないと
真剣に考えたことがある。
今でも路上生活やスラムというものが、他人事には思えない。

けど、貧乏でもなくさなかったものもある。
本は、買う量が劇的に減ってしまったけど、それでも買った。
それから、季節の行事は必ずやった。
お花見とか、七夕とか。
獅子座流星群を見に行ったりもしたな。
あと、友達とたくさん話した。
いまでも当時 話したことは心に残っている。
ずっと仲がいい友達もいるよ。
こういうのは、貧乏になっても変わらなかった。
貧乏でも残るものもある。
それはわかった。

でも、貧しいとき、なにが残るか・本当に残るのかってのは、
個人の性格によると思う。
たとえば本当に金銭だけのつながりの人間関係しかなかったら、
友達だっていなくなるだろ。
そう考えたら、人間の最後の財産=自分の心かもね。
その心でなにをしてきたか、なにをしているかで、
困窮したときに手元に残るものが変わってくる。
たくさん手元に残った人は、たぶん、心が豊かなんだろう。
お金はないかもしれないけど、たくさん他人に与えたものがあったんだろう。
だから残った。
残らない場合は――それはそれで仕方ないかもな。
だって自分の人生だからな。
そういう風になるようにしか生きなかったんだから。
人生の総決算は、困窮時にやってくる。

お金はあるにこしたことないよ。
やっぱ、この世は資本主義だからね。生きるために必要だ。
お金がなきゃ話にならない。これは本当。
身に沁みてそう思う。
でも、お金がなくなったときにも残るものを
作ることも大切だよ。たぶん。
そういうの、たくさん作れるといいね。
たくさん作れる人はきっと、死んだときにもたくさん泣いてもらえる人だよ。
ああ、あいつがいればいいのに、って言ってもらえる人。
そういうのも必要だよ。
お金とは別にね。



今日はね、ちょっとしんみりした感じで語ってみたよ。
わたしの人生観が露骨に出てきたなあ。
うん、だから説教臭いね。ちょっとウザイな、このブログ。
えー、いやいや、ひとは好きなように生きればいいと思いますよ?
上記はあくまでわたしの思い出と感想なので、
人間関係ゼロ、所持金ゼロでもいいと思いますよ? 不本意じゃなかったら。
とりあえず死ぬとき、後悔がなければ、それでいいんじゃないでしょうか。
後悔したくなかったら、どうにかしたほうがいいと思うけど。個人的には。
でも、それすらもその人次第だからね。
好きなようにすれば。それでいいと思います。
以上、ホラ九割で。
えええっ、九割?! こんなに長くて深いのにって思ったあなた。
あなたは世間ずれしていない、イイヒトです。
きっとお葬式でたくさん泣いてもらえます、たぶん。
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コメント

お久しぶりにお邪魔いたしました。
おばあさまと執事と花の子●ンルンが妙にぐっときてしまいました(笑)
私も執事のセバスチャンとご学友のピエールとetc..に囲まれて育ったのですが、何故か今はお小遣い制で貧乏であります。
花の子ル●ルンを制作されてました荒木プロダクションの画風が好きで、ウィルダネスという同人誌も購入しておりました。
あぁ、しんみりしますなぁ。。。。

kaluapig様、こんばんは。再びのご来訪、ありがとうございます。
そうなんですよ、ごくごく一部の
「ママから月に三千万円お小遣いもらってる」などという人は別として、
お小遣い制って貧乏になるんですよね。
日々 欲望との戦いです。
花の子●ンルンが通じるということに、
kaluapig様にますます親近感を感じてしまいます。
あのころ、毎週見てました。
今週の花言葉(というコーナーだったと思う)を食い入るように見てました。
同人誌があったのですか。どんな内容なのか、とても興味をそそられます。
よろしければ、またお立ち寄りください。
たぶん、またここで執事と戦っているかと思います……。

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